ロマン派音楽 3
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音楽歴史の小話
18世紀までの作曲家は、パトロンのもとで(パトロンの要求の通りに)作曲していました。
(ロマン派は)聴衆が市民になり自由市場になり、作曲家たちは自分の得意分野で専門的に作曲するようになりました。 パガニーニはヴァイオリン曲、ショパンはピアノ曲、といった感じです。
さらに、楽譜の印刷も一般化されたことから「作曲家が書いた楽譜を演奏家が演奏する」というように役割の分業化も進んでいきました。この頃から「専門の指揮者」が現れ、指揮者が独自に解釈して曲を演奏するようになりました。
19世紀のパリの社交界では「ピアノはステータスシンボルのひとつ」でした。ピアノは上流階級家庭の必須家具で、娘に習わせたりしました。また彼らは「サロン」と呼ばれた社交の場所で演奏を楽しみました。
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