作曲家を夢中にさせたヴァイオリニスト
公開日:
:
ヴァイオリンの小話
1844年スペインのバンブローナ出身のパブロ・サラサーテ。
サラサーテは19世紀半ばから後半にかけてヨーロッパで大人気だったヴァイオリニストで、「ツィゴイネルワイゼン」の作曲者です。「ツィゴイネルワイゼン以外にも自分の超絶技巧を生かすべく華やかな小品や編曲をたくさん作曲しました。
パリ音楽院で歴史的に有名なヴァイオリニスト「デルファン・アラール」に学びました。(デルファン・アラールは、ショパンとも共演しています。)サラサーテはまずフランスで世間の話題をさらいました。
最初にサラサーテと仲良くなったのは「サン・サーンス」で、二人は演奏旅行も行いました。
サン・サーンスの傑作「序奏とロンド・カプチオーソ」「ヴァイオリン協奏曲第3番」などは、サラサーテのテクニックを前提に書かれています。
サラサーテの演奏を聴いた作曲家はみんなヴァイオリン協奏曲を書きたくなりました。サン・サーンスやラロなどの、ラテン系やフランスの作曲家ばかりではありません。ブルッフ、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ヴィエニャフスキ・・・
ブルッフやブラームスなどのドイツ人作曲家は、サラサーテのライバルです。ブラームスのヴァイオリンコンチェルトはヨハヒムのために書かれ、ヨハヒムによって初演されました。ドヴォルザークのヴァイオリンコンチェルト、ブルッフのヴァイオリンコンチェルト第1番もヨハヒムゆかりの作品です。
そのブラームスは、ドイツの温泉保養地バーデンバーデンで、サラサーテの弾くブルッフのヴァイオリンコンチェルト第2番を聴いてこのジャンルへの参入を決意したそうです。ヨハヒムとサラサーテの個性は両極端でしたが、ブルッフはヴァイオリンコンチェルト第1番をヨハヒムに、第1番をサラサーテに作曲しました。ドヴォルザークも同じくそうしました。
チャイコフスキーもサラサーテの火花散るラロの演奏を聴いて(目の当たりにして)ヴァイオリンコンチェルトに興味を持つようになったそうです。ヴィエニャフスキも同世代のサラサーテに曲を捧げました。

関連記事
-
-
バッハ「ガボット」は
「もうずいぶん前区立の中学校の音楽授業で、このバッハ:ガボットを弾いたことがあるんです。 でも、ヴ
-
-
ヴァイオリンを鳴らす
最も大切なのは「弓がまっすぐ弾ける」ということです。 弦楽器は、弦を摩擦して音を出す楽器です
-
-
楽器なしのヴァイオリン基礎練習
長期出張(数日〜数週間)のあるお仕事のMさん。 荷物の量も(周りの人のことも)考えて、ヴァイオリ
-
-
「ヴァイオリン」の名称起源
ヴァイオリンの音楽が最初に発展したのはイタリアで、イタリア語ではこの楽器を「violino(ヴィオ
-
-
ヴァイオリン曲を仕上げていくポイント
取り組んでいる曲の練習で大切なのは、難しいところを 取り出して、そこだけさらう事です。 楽譜を
-
-
ヴァイオリンの重音チャレンジ
ヴァイオリンは弾く人が自分で音程を作る楽器です。このテクニックを習得出来るかどうかが、ヴァイオリン上
-
-
ヴァイオリンのピチカート
ヴァイオリンのピチカートは弦を指で弾いて鳴らす奏法です。ピチカートの音色がもし少し曇っていたらチェッ
-
-
ヴァイオリンのヴィブラート
ヴィブラートは、物理的には「音程を上下に揺らすこと」です。 ヴィブラートは、気の向くままに(い
-
-
ヴィブラートにチャレンジ
「スプリングコンサート」が終わったので、ヴィブラートに挑戦したいと思います!」 と、Tさん。
- PREV
- ヴァイオリンのスピーカー
- NEXT
- ヴァイオリンとは?