ロマン派音楽 2
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音楽歴史の小話
ロマン派音楽以前は、ほとんどの場合「一度演奏したらそれで終わり」ということが多かったようです。作曲家たち自身「永遠に残る曲を書く」という意識はそんなにはなかったそうです。
作曲家であり批評家としても活躍したロベルト・シューマン(1810~1856)は、自分で発行していた雑誌でブラームスを紹介したり、シューベルトの未発表曲の交響曲「ザ・グレイト」を発見するなど、歴史に埋もれていた(音楽の歴史的遺産になる)作品を「永遠の名曲」として再度認識するという新しい音楽の聴き方を聴衆に提案しました。
シューマンが1834年に創刊した「音楽新報」。シューマンは、ブラームスの他にもショパンを紹介しました。ショパンのことを「脱帽せよ、天才が現れた。」と、絶賛した有名な話があります。
またこの時期、欧州各地に音楽学校が開校されました。パリ音楽院が1795年、ウィーン音楽院が1812年、ミラノ音楽院は1808年に設立され、多くの人々が音楽教育を受けられるようになりました。
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