ベートーヴェン 2
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こぼれ話
1770年12月に、宮廷楽長を祖父に、宮廷テノール歌手を父にうまれたルートヴィヒは、音楽家になるべく運命づけられていました。
幼少期から、第2のモーツァルトに育て上げたいという父親の欲望のままに厳しい訓練を受けていました。
しかし、ルートヴィヒが目覚ましい才能を飛躍的成長をするのは師クリスティアン・ゴットローブ・ネーフェの指導を受け始めた1781年以降でした。
ライプツィヒ大学に学んだ教養人だったネーフェは、学生時代からジングシュピールの巨匠アダム・ヒラーに作曲」を指示し、同時にオルガン奏法を勉強していました。彼は J.S.バッハやエマニュエル・バッハの音楽に精進し、自ら作曲したソナタ集をエマニュエル・バッハに献呈するほどでした。
ネーフェは少年ベートーヴェンのレッスン教材として、当時まだ出版されていなかった J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」やエマニュエル・バッハの理論書「正しいクラヴィーア曲集」&「プロイセン・ソナタ集」「ゲレルトの詩による歌曲集」などを使い、クラヴィーア(チェンバロ)奏法やオルガン奏法、そして即興的な能力を高める通奏低音奏法などを指導しました。
また、自由創作課題としてピアノのための変奏曲とソナタの作曲を促して、その成果として少年ベートーヴェンの最初の「ドレスラーの行進曲主題による変奏曲」WoO63などが生まれました。
ネーフェ不在の時は、宮廷礼拝堂で代理オルガニストを務め、宮廷楽士たち中心に編成された国立劇場オーケストラではヴィオラ奏者や通奏低音奏者としてチェンバロも弾いていました。
1784年にベートーヴェンは「ピアノ(チェンバロ)協奏曲」WoO4を、そして85年にはモーツァルトの「6つのヴァイオリンソナタ集」から形式と楽曲構成を模倣して3曲の「ピアノ四重奏曲」WoO36を(モーツァルトの有名な2曲のピアノ四重奏曲の完成以前に)作曲しています。
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